警察の力(Long Arm of the Law)
その3

著者:John H. Crowe, III
日本語翻訳:TRAM


大都市の警察
大半の大都市は市政府や法執行機関の腐敗の蔓延に苦しんでいた。禁酒法によって利益を掴むチャンスを得た犯罪組織は贈賄や暴力を行使するようになる。ニューヨーク市の2倍の死亡率を誇ったシカゴが恐らく最悪の都市だろう。暴力は日常茶飯事で、殺人も市当局者がうろつき回る警官を、ギャングや組織の殺し屋が警官や探偵を、さらには新聞社までもがが競合している他の新聞社に対して使う手段だった。1907年から1910年の間に27名の新聞配達人や一般市民*1が殺されたという悲しむべき統計もある。さらに恐ろしい事実は、イリノイ州における法執行機関の地位の低さである。イリノイ州の最高裁判所は、警察の刑事を2人殺害したカポネ配下の2人のギャングを、刑事が法的根拠なしに2人を逮捕しようとしたため殺害されたのならそれは殺人罪とはなり得ないとして有罪判決をひっくり返したほどだ。警察官は暴力の格好の標的であり、ガードマンの大半は自動式の武器で武装していた。この様な状況の結果、シカゴの警官たちはアメリカの主要警察署のどこよりも自分の火器に頼ることとなった。1926年および1927年には、12名の警官が殺害され、警察は89名の市民を殺傷している。シカゴ警察(そして他の多くの都市部の警察)には2つの大きな障害があるが、それは悪徳とギャングだ。両者は禁酒法に関連する多くの要因によって突き動かされていた。

*1…一般市民と書いてありますが、原語は slugger であって全然訳語じゃありません。「slugger」の訳が判らなかったため、一時的に「一般市民」に置き換えさせていただいているという状況です。

 大都市の警察には長所が全く無い訳ではない。1920年代には多くの警察署は市政府から自治を勝ち得たため、政治的影響を受けることも少なくなっていた。その結果、完全に排除できたわけではないが汚職も減っていた。革新的な試みを取り入れる警察署も幾つかあった。例えばセントルイス警察署は第一次大戦前にスコットランドヤードから指紋捜査を取り入れている。少なくとも数名の警察署長がプロ意識を強く推進し、州警察に匹敵するほどの高水準の基準を定めた。また、多くの地域で汚職は日常的だったとはいえ、多くの警官は誠実であり、状況を改善するよう努めていた。あくまでシカゴは最悪のケースであり、アメリカの都市の大半がそうであったわけではない。

自警主義
悲しむべくも、田舎の地域での唯一の「正義」がこれである場合があった。群保安官はやる気が無かったり法を執行するだけの力が無かったりで、州警察もすぐに何処にでも駆けつけられるわけではなかったからだ。そのため市民は警察制度に対する信頼の欠如や、告発を受けた人物に対する激怒といった理由で法を自らの手で行使することもあった。自警行為の犠牲者はその告発者の手によって恐ろしい苦痛を味わった。殺人者や強姦者が牧草地の真ん中にある1本の木に吊るされるというのは「古典的な」認識であり、実際は火あぶりが処刑の一般的な方法だった。だが告発を受けた罪人だけが対象ではなかった。地元社会の標準に馴染めない者は人種差別主義者の攻撃対象となった。そのような残虐行為の加害者が逮捕されたり、しっかりと調査されるということは殆ど無かった。

連邦の法執行機関
両大戦間の時期における連邦の法執行機関は、一部の人が信じるようなエリート集団でもプロフェッショナルでもなかった。1908年までは、議会はチェック機能が働かなくなれば連邦組織は己の力を悪用することにもあり得ることを恐れ、組織に対して制限を設ける方向で動いていた。この伝統が変化し始めたのは、1908年に捜査局が創設されたときだった。この組織は1924年に正式に組織された連邦捜査局(F.B.I.)の前身である。1910年、捜査局は勢力を拡大する最初のチャンスを得る。議会は売春などの目的で女性を州から州へと移送することを禁じたマン法を可決した。人口の増加に伴い医療機関が薬の使用量を増やしつつある問題で、政府はそれに対して徐々に反応しだした。また議会は、長期的なスパンに立ち多くの物品を違法もしくは入手不可能と定める幾つかの法律を制定した。様々な医薬品の不正取り引きという犯罪要素も加わり、国税庁はその法律の施行を委ねられた。

 連邦の法執行機関の拡張を促した重大な出来事は、最初の世界大戦の始まりとそれに伴う共産主義の脅威だった。社会は破壊活動や妨害行為を心配し、政府はこれを受けてそれらと戦う目的の法律を定めた。最初のものは1917年のスパイ活動防止法で、この法律は敵への助力や新兵徴募の妨害、扇動的印刷物の郵送といった行為を違法とするものだった。1918年の扇動防止法は、政府批判や政府に害を成す内容の著作や発言を違法とするものである。これは言論や報道の自由といった権利を大いに妨げるものであった。この法令は違法性の基準が明確に定められていなかったため、解釈はまちまちだった。財務省秘密検察局*2や捜査局、そして郵政省*3までもが違反者の捜索に熱心に取り組み、必然的にその法律やその趣旨は大いに悪用されることとなった。防諜活動は捜査局や財務省秘密検察局の努力により成功を収める一方で、何千人ものいわゆる徴兵忌避者*4が逮捕された。逮捕の根拠は容疑者が適切な身分証明書を所持していなかった市民だからというものである。大半は釈放されたといっても、とてもこの極端な市民権の侵害行為を埋め合わせるものではなかった。

*2…Secret Service:こっちの名称(シークレットサービス)の方が知名度が高いでしょうね。
*3…Post Office:日本語訳が「郵政省」であってるかはちょっと自信ありませんが…。
*4…draft evaders:これも今一つ意味が分からなかった言葉です。

 戦争後、共産主義の脅威が連邦の法執行機関の拡大を更に促すこととなる。アナーキストの活動や労働組合のストライキは、政府機関の過剰な反応を引き起こし、彼らは木の影から破壊活動分子を見張ることもしばしばだった。J・エドガー・フーバー率いる司法省の情報部は情報を収集し、左翼的活動の疑いのある人物45万人分のファイルを作成した。このものすごい数は、それ自体に不安を抱かせるものだ。それに加えて、入手した情報の殆ど全てが僅かの妥当性すら持ち合わせていなかったというのが実際であった。証拠が全く不足していたにもかかわらず、連邦機関のエージェントたちは疑わしい過激派の逮捕を全国規模で行った。その結果は有罪判決とはならず、何千人もの市民の権利を侵害するに至った。だがこれは権限の悪用によって幾らでも切り抜けられることを知る連邦機関のエージェントにとって気にすることではなかった。だがついに市民はそれに対して行動を起こし、1920年代初期にはそのような行為は抑えられた。

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1995 John H. Crowe, III.


訳者ノート:『警察の力(Long Arm of the Law)』その3です。前回の予告の通り、大都市部における警察や自警行為、連邦の法執行機関(の一部)に関する記事をお送りします。今回もまた訳語に悩まされることしきりでした。辞書に載っていない名称などは、私が勝手に訳語を当てていますがそこら辺はご了承ください(なんかこんなのばっかですね)。
 えと、次回は連邦の法執行機関の続きと司法機関についてお送りする予定です。(TRAM)


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