警察の力(Long Arm of the Law)
その2
著者:John H. Crowe, III
日本語翻訳:TRAM
ペンシルベニアでも州警察組織の進展は類似した過程を経験した。度重なる炭坑夫のストライキに長い間不安を感じていた市民の声に答えてペンシルベニア州知事は1905年にアメリカ初となる州警察を発足させた。初代長官は州軍将校のジョン・C・グルームである。シュワルツコフ同様、彼も州軍や陸軍の将校を州警察の警官として転職させている。228名の部下の大半が陸軍の軍役に就いていた。グルームが採用基準として考慮したのは軍隊経験だけではない。『肉体的なスタミナ、職務への忠誠、向こう見ずな勇敢さ、よそ者(外国人)に対する蔑視』が彼の求める資質だった。もちろんこれらの基準の最後の二つは法執行を行う者にとっては問題があるだろう。『向こう見ずな勇敢さ』は警官の無意味な死を誘発し、『よそ者に対する蔑視』は公民権の侵害や対立を招くこととなるからだ。
選抜された全員が厳しい訓練を受け、その後すぐに不穏な状態が最も高まっていたペンシルベニア西部に送り込まれた。この初期の州警察官たちは法の執行者というよりはまるで騎兵隊の兵士のようであった。各人には馬とライフル、リボルバー、サーベルが支給された。その成果は目覚しかった。またこの頃の州は地方に命令を押し付けることも可能だった。そして暴動坑夫を対処するだけではなく、企業自身が私的制裁を加えることはもはや不可能とした。平和的なピケ隊員*1はスト破りによって邪魔されることはなくなり、また労働者たちも以前のような虐待を受けることもなくなった。ペンシルベニア州警察の実績は素晴らしかったが、外国人移民者たちへの生来の偏見が法的権力の様々な悪用という結果に終わった。州警察官たちは「不適当な」行為を処罰するため外国人移民者たちが住む地域を組織的に巡回した。不法な家宅捜索なども行われ、妨害や抵抗行為は殴打や逮捕という形で報われたという。にもかかわらず、ペンシルベニア州警察によって以前の州の状態よりは大いに進歩したといえた。1923年から1937年の間、州警察は州の別組織――ペンシルベニア州ハイウェイパトロール――と並んで活動した。両者は1937年に1600名の人員でペンシルベニア交通警察*2として統合された。そして第二次世界大戦中に、州警察は再編成された。
*1…ストライキの際に職場の入り口を固める労働組合員たちなどのこと
*2…原語は「Motor Police」。辞書に掲載されていなかったので、「交通警察」と訳語を当ててみました後者は「州警察」が「州ハイウェイパトロール」と必然的に同一ではないことの一例である。ハイウェイパトロール組織は州内に限定された権力と司法権で、拡大を続ける道路インフラをパトロールすることを当初委ねられた。
1908年から1923年の間に、(産業の盛んな北部を中心に)14の州が州警察組織を採用している。ペンシルベニアを手本とする州もあったが、ネバダのように異なる方法を取った州もあった。ペンシルベニアと違ってネバダの州警察は産業への偏見を持ちつつ創設され、1918年にはコロラドとオレゴンがそれに追随した。しかし1920年代までは州警察組織はより大きな問題(自動車の導入)に取り組むためにそのような文化的偏見を扱うことは少なかった。自動車は交通規則の必要性をもたらしたばかりではなく、犯罪の要素に機動性が加えられることとなった。交通管理は州警察官と中流階級市民との接触をもたらし、彼らに対して暴力でもって対処することは社会的にも不可能だった。1920年代初めまでには、州警察官たちは以前のような態度を改める必要が出てきている。さらに無防備な地域の治安維持を行う必要も出てきた。小さな町の銀行は暴力的な銀行強盗の略奪行為の危機に晒されることとなっており、それを真に食止めることができるのは州警察のみだった。1930年代までには新しい戦術と方法が採用され始めた。州警察ではなくハイウェイパトロールがますます創設され、幾つかの州では車検や交通安全講習の実施を始めた。1934年までには24の州に犯罪における身元確認の部署が存在し、この事は指紋押捺や写真の使用促進には大いに重要だといえる。送受信用無線機の存在が警察の戦略に影響を与え、1933年にミシガンは地域封鎖のため路上バリケードを使用した初めての州となった。
第二次大戦頃のアメリカの州警察は、20年前よりは排他的ではなく革新的であった。トップのポストが軍人に流れることはもはや無く、州警察内での昇進によってポストは移動した。彼らは地元警察組織よりもより良い印象と厳しい規律を維持し続けている。
群保安官
厳密には各自の郡内における法の実施に責任を持ち、(多くの地域では)保安官は犯罪と戦うという点では殆ど機能を果たしていなかった。むしろ彼らは拘置所の管理や裁判所職員*3としての役割を果たすことに専念していた。1916年のニュージャージーでの調査では、21人の保安官中16人が犯罪と戦ったことが無かった。多くの田舎地域の市民たちは自己防衛や正義を勝ち得るために自己裁量で行動を起こすことが良くあった。自警団員が殺人の罪を逃れ得たとしてもそれは驚きではなかった。この様な悲しい状況は1920年代に変化することは殆ど無く、それは一面としては十分な資金提供不足の為でもあり、また革新が進まなかったためでもあった。*3…原語は「Court Officer」。「裁判所職員」では直訳的すぎて適訳ではないかもしれません。住民の揉め事を裁く、そんなイメージでしょうか。
地元の法執行機関
ここで言及しているのは法の執行における最小の管轄区域(市や町、村の警察署)についてである。幾つかの地域社会では地元に警察署を持っていたが、警察力を全く持っていなかった地域は群や州の警察組織に頼らざるを得なかった。各地域社会によって異なってはいるが一般的には、小さな町の警察署は群の保安官事務所と訓練度や資産の面ではほぼ同様と見なすことができるだろう。中小規模の町での警察署が役に立つか立たないかは個々のキーパーの裁量に任される。1995 John H. Crowe, III.
訳者ノート:『警察の力(Long Arm of the Law)』その2です。今回は州警察の続きと群保安官、地元の法執行機関に関して扱っています。一部の訳語に悩まされ、適訳ではない訳語が何点かあるかもしれませんがご了承ください。その語のニュアンスを汲み取っていただければ幸いです。
次回(その3)では、大都市部の警察や自警行為、連邦の法執行機関などについて扱った内容となります。(TRAM)